琵琶の弾き語りによる絵解き法話
「念仏申さるべし」
去る6月17日(日)、超願寺(片原町)にて六組同朋大会が開催されました。
本堂には御門徒、僧侶含め約42名が聴聞に来ておられました。講師の梛野明仁師より、琵琶弾き語り絵解き法話をして頂きました。
今回の絵解き法話は、第三幅の第一段目~第五段目でした。後鳥羽上皇は、法然上人の吉水教団を弾圧し、専修念仏の停止と門弟4人の死罪、法然上人はじめ門弟8人を流罪に処しました。
正像末和讃の中に、安楽房が亡くなる前日に後鳥羽上皇になげかけた和讃があります。
念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に墮在して
八万劫中大苦悩
ひまなくうくとぞときたまふ
安楽房『念仏誹謗の条(仏法をそしる)念仏弾圧を加えた後鳥羽天皇あなたは間違っている、謝りなさい。阿鼻地獄に八万劫中という長い間地獄に落ち続けるぞ』
そういわれた天皇は最後、結果的には島根県の隠岐の島というところに流されました。天皇であった後鳥羽上皇は19年間、都に帰ることが許されず、流されたまま人生を終えました。
ただ無常を念じみなも弥陀を称えよ
願うべきは安養の浄土頼むべきは弥陀
の慈悲なり
(後鳥羽上皇が最後に読んだ詩)
後鳥羽上皇『あしたに生まれて夕べに死す。はかなきものは幻のごとき一生である。いにしえより、いまだ万歳の人がいたと聞いたことがない。一生は過ぎやすい。たれが百年の後も生きていよう。まことに我や先 ひとや先、今日とも知らず明日とも知らず遅れ先立つ人、もとのしずく末のつゆよりも多し』
梛野師曰く「蓮如上人は、無常講式を読んで、これはなんとか伝えていかなければならないと思い、御文に引用しました。後鳥羽上皇は最後、『ただ弥陀の名号を称えよ』おっしゃったが、よく考えてみると後鳥羽上皇が弥陀の本願にあえたから流罪にあってよかった。上皇を仏法にあわせたのは、安楽房です。念仏申さるべし、ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし、なんまんだぶ、なんまんだぶと一座一座を大切に聴聞すべきことを教えて下さったのではなかろうかと申し上げたかったのです」
私はお話を聞いて、かつて念仏停止と法然・親鸞聖人の流罪を命じた張本人が、後に自らが隠岐の島に流罪となったが、しかし念仏者となって、念仏に救いを求めるようになった事実と、後鳥羽上皇が白骨の御文の元となる「無常講式」を著わし、それを蓮如上人が引用したという事実に改めて驚かされました。
第6組通信員 常盤智子