家族葬について考える

筆者が、5年程前に北陸新幹線が開業して間もない時に日光東照宮にお参りしました。宿泊した鬼怒川温泉で朝刊の「おくやみ」は地元の富山・金沢と比較すると半分以下の掲載数でした。各市町村で0件又は1件から2件でした。人口200万人の栃木県での状態です。全国的に葬儀はどう行われているのかな?と驚きました。

コロナ渦となってしばらくの後に「家族葬」があったのですが、襖戸を隔てた遺族の部屋から「こんな楽な葬儀は良いかもしれないな」と声が聞こえた時、法中方の私たちは苦笑いでした。今まで遺族の方々が大変だと思っていたことが本音として出たのかな?これからの葬儀の形が変わるキッカケになるのかな?と考えました。

葬儀式の「場」が制限されている現在では死者を通して生者である「私」を見つめ直す機会が減ってること、簡略化されていることは残念な事です。他人からの評価による「私」ではなく、願われている「私」に目覚めてほしいです。

一組 通信員 埴野克衛